WE HAVE A GREAT AMBITION TO BECOME...

Invisible

モドル

 日差しがじりじりと肌を焼く。今年の夏は例年以上に暑い。通い慣れた坂道といえど、今では灼熱地獄にしか思えない。その一番上に目的地があるのだ。

 物語の中から飛び出してきたような蔦の蔓延る洋館。扉を開ければカランとベルが鳴った。クーラーをつけている訳でもないのにひんやりとした空気を感じて、俺は溜息を一つ。

「かかか。人間は大変じゃのう。」

「うおっ!い、いつからそこにいたんだよっ。」

 俺の背後から声が聞こえた。振り返ってみるも誰もいない。視線を足元にやるとようやく彼女を見つけた。悪戯が成功した子供のようににやにやと笑う彼女に未だに慣れることができない。

 ふんわりとウェーブがかかった金糸の髪。色のコロコロ変わる澄んだ緑眼。愛らしさと高圧さを併せ持つ彼女は立派なフランス人形である。それなのに古風な日本語を話すとは。・・・某友人ならば「ギャップ萌え!」などとでも叫ぶのだろうかと、どうでもいいことを考えた。

「いい加減俺をからかって遊ぶのはやめてくれ。」

「何を言っておる。単にそなたがビビりなだけじゃろう、雅樹。たかが人形が動くことくらい今の世では面白くもなんともなかろうに」

 俺だってたかがアンドロイドが動いたりしゃべったりすることは当たり前としか認識しない。しかし、こいつはフランス人形だ、布やら石膏やらで作られている人形にしかすぎない物が動いていればビビって当然な気もする。こんな考え自体がビビりだと言われてしまえば仕方ないが。

「それはアンドロイドとかロボットとかのことだ。お前とは根本的に違うだろうが。お前の頭には電子チップなんて入ってねぇだろ。一緒にするんじゃねぇよ。」

 こいつはどれだけ年代物なのだろうか。少なくともアンドロイドやロボットが作られる以前であることに違いはない。知識のない奴が見ればこいつも精巧なアンドロイドにしか見えないだろうが俺は違う。あえて言うならばツクモガミだろうか、そういった妖怪の類であるのだということを俺は知ってしまったから。

 部屋の奥へと進みながら、後ろをついてくるフランス人形に内心溜息を吐きながら社長の姿を探す。何でも屋とはいえ、そろそろ仕事をしなければ。この洋館の前所有者の影響かあちこちに飾ってあるアンティークに気をつけながら進むと、ふと目新しいものを見つけた。

「これ、昨日までなかったよな。どうしたんだ?」

 ガラス製だろうか、透き通った置物には曇り一つない。丸く白鳥を模ったそれは細部まで細かく作られており、製作者の秀逸さが一目で見てとれる。

「未だにおるのじゃ、そういう物を持ち込む者が。話したじゃろう?以前ここが何をやっておったのか。」

「道楽でいわく付きのアンティーク集めてた喫茶店だろ?」

 冷たい視線で射られた。そういえば彼女はそのマスターの所有物の一つだったのを忘れていた。失言にどう言い繕うか考えていると、不意に彼女が悲しげに微笑んだ。白鳥の傍にあったピアノ型のオルゴールを優しく撫でると、昔を思い出しているのかどこか遠くを見つめて呟いた。

「彼奴もよく生意気な口をきいておったのう。アンティーク達に妙に好かれる奴で、困ったものぞ。彼奴が息を引き取ったとき、このオルゴールも黙りこくってしまったのじゃ。」

 幾人もの命を奪ってきたと言われているオルゴールにまで好かれたというのだろうか。あるいは彼女さえも。

「なぁ、喫茶店だけでもやってみてはどうなんだ?」

「かかか。あの青山が珈琲をたてれると思うか?お茶一つ満足に淹れられぬやつが!」

 彼女が大笑いするところは初めて見た気がする。抱腹絶倒とはまさにこのことだろうか。その姿に俺も思わず噴き出してしまった。青山さん、つまり社長だが、今ここにいなくて本当に良かった。こんな会話を目の前ですれば確実に顔を真っ赤にして怒るだろう。しかし社長の不器用さはひどいものがある。目の当たりにした時どうすればいいかわからなかった程である。

「おや、どうしたのですか二人とも。」

 ひょっこりと顔を覗かせた社長に彼女は一層笑い、僕は引きつった笑みを浮かべながら挨拶を述べた。社長はああ、と頷いて白鳥の置物を示す。

「午前中に持ってこられたのですよ。水晶ですからね、相当高価なものなので気を付けてください。」

 まさか、水晶だったとは。細工だけでもかなりの金額が付いているだろう白鳥は一体どれほどの金額なのだろう。きっと俺には到底考え付かない値段であるに違いない。ここを通る時は細心の注意を払っておこう。

「さて、雅樹くん。そろそろ仕事を始めませんか。」

 社長の一言に血の気が一気に引いた音が聞こえたような気がした。時間は待ってくれてはいなかったようだ。社長は相変わらず微笑みを保ったままで、彼女を抱えあげ無言の圧力を放っている。この人を怒らせてはいけないことは重々承知ではあったが、あの彼女すら蛇に睨まれたカエル状態であるのだ、俺のことは推して知るべし。二人で倉庫の整理を申しつけられてしまった。

 地下の第一倉庫は特に埃っぽい臭いが充満している場所であると同時に、第一級の危険物が放置されている場所でもあると彼女は語った。その表情にはありありと入りたくないという色が表れており、彼女さえそうであるのだから今では誰も近寄らない部屋になってしまっていた。社長、普通の仕事がしたいです。いくら俺がオカルト好きでもホラー系はダメなんです、矛盾してますけど許してください。しかしながら今の社長にはたとえ何を言っても無駄であるということは一目瞭然な訳であるので、勇気を出して扉に手を掛けノブを回した。引いても押しても扉は開かなかった。ってオイ、何してるんだお前は。先ほどまで俺の肩に乗っていたフランス人形が扉を必死に押さえているのが見えて思わず脱力してしまい、彼女は何故か勝ち誇った笑みを浮かべた。ちゃんとやらなければ社長から怒りの言葉を頂戴するのに、その抵抗は意味がない。というより寧ろマイナス効果であるのを分かっているのだろうか。

「そんなに入りたくないのかよ。無駄な抵抗は止めた方がいいと思うぞ。」

「ええい、そなたはここがどういう場所か知らぬからそう楽天的でいられるのじゃ。たとえ世界が朽ち果てようとも妾はここを開けたくはないわ。」

「開けなさい。」

 いつの間に後ろに来てたんですか、社長。急に抵抗がなくなったものだから扉とともに俺は踏鞴を踏みながら部屋の中へ入っていった。地下室であるから中は暗いはずなのだが、妙に室内が明るくて僅かばかり目を細めて周りを見渡す。十数体の人形がこちらを虚ろな目で見つめていた。怖すぎて悲鳴すら出ずにただ立ち尽くす俺の肩にそっと何かが乗った。が、視界に移りこむ金髪に彼女であることが分かり安堵を漏らした。

「こうなっては腹を括るしかあるまい。行くぞ雅樹。」

「行く?どこに?ここを整理するんじゃないのか?」

 彼女にしては珍しく舌打ちを一つ、視線を宙に彷徨わせた後で溜息もおまけに一つ。バツの悪そうな顔でゆっくりと口を開いた。

「ここは単なる工房の一つじゃ。このさらに地下に倉庫がある。妾がここに入りたくなかった理由は、この人形たちを見せたくなかった故。今までの主の作品・・・アンドロイドや人形、彫刻、楽器、楽譜、気に入っておったアンティークが置いてある。」

 そうか、彼女にとってここは大事な場所なのだ。主達との思い出が詰まった場所であり、彼らを追悼する場所でもあるのだろう。あのピアノ型のオルゴールも本来ならここにあるべきなのかもしれない。死の無い彼女、壊れるまで動き続ける彼女は今までに何人の主と出会い、別れてきたのだろうか俺に知る由はない。その小さな体にどれほどまでの悲しみを抱えているかも。そして、この部屋で一人悲しみに暮れていたに違いない。嘘を吐いてまでここに近付けなかったのだ、彼女は本当に彼らが好きだったのだろう。ぽんと小さな頭に手を乗せあやすように宥めるように二、三度軽く叩くと一瞬彼女は泣きそうな表情になったが涙を流すことはなかった。いや、人形は涙を流せないのかもしれない。そう思うと頬を熱いものが伝った。

「何を泣いておるのかえ?」

「お前が泣かないからだ。くそっ、こっち見んじゃねぇよ。」

 我ながら恥ずかしい台詞である。羞恥に駆られてそっぽを向き、目が赤くなるのも構わずに袖で強くこするが、その小さな手にどれだけの力があるのか顔をぐいと引っ張られ至近距離で見つめられる。澄んだ瞳に吸い込まれそうなほどに。

「何故じゃ?妾のために泣いてくれておるのだろう?その涙は妾の物じゃ。」

 小さな手を包み込むように重ねると彼女は静かに目を閉じた。無機質なひんやりとした肌が心地よく、しばらくそのままでいると唐突に彼女が離れていつもの表情に戻りこちらをにやにやと見ていた。まるで別人のような変わりように呆然としているとあからさまな嘲笑を湛えて、びしっと俺を指差し言い放った。

「いつまで泣いておるのじゃ、恥ずかしい奴め。さっさとその涙を止めぬと置いて行くがそれでも良いのかえ?いつまでもここにいる訳にもいくまい。」

 憎らしいほどつらつらと言い放つ彼女にいっそ清々しささえ覚える。何はともあれ彼女が今この時だけでも立ち直ったというならばそれに越したことはないが、基本的に彼女はポーカーフェイスを得意とするのだ、先ほどまでのように表情を露わにすることの方が珍しい。しかしながら、長い間に蓄積され続けてきたことを思えば俺一人がどうこう出来る問題であるはずもなし、そもそも、どうにかしてやりたいと思う気持ちすら間違いなのかもしれないと思いはするが。などと考えて、あれ、と首を傾げた。今まで俺は人形が喋るという不可思議な現象を信じたくないと思い距離をおいてきたわけで、結果以前見せられたホラー映画よろしく怖いという気持ちが第一にあり、深く関わろうとしなかったのである。それなのにこの気持ちの変化はなんなのだろうか。まるで彼女を一人の人間のように扱う今の状況はなんなのだろうか。

 頭の中が混乱し始めた俺を余所に彼女はさらに地下へと向い、時々こちらを窺ってはちゃんと着いてきているか確認をしている。ぴたりと足を止めたかと思うと床にある重そうな取っ手に手を伸ばし引き上げ、その小さな体に似合わぬ怪力ぶりを発揮している。

 階段を下り電気を点けたところで俺は思わず感嘆の声をあげていた。倉庫というよりは書庫である。所狭しと棚に収められている埃かぶった本の数は二百は下らないだろう数え切れないほどであり、比較的最近のものからかなりの年代物まで様々である。その中で小さな机が本棚に埋もれるようにひっそりとあり、真新しい本が一冊開いたままになっていた。そこには午前中に来たばかりだという白鳥の置物が写真付きで詳細に書かれており、少なくとも今日中に一度は誰かがここを訪れたことを示していた。

 もしや、ここにある本は全てそうなのだろうか。興味に駆られて近くの棚から本を一冊抜き取るとかなり古いもののようで幾度も読まれたような痕跡があり、頁の端がボロボロになっていた。適当な頁を開くと確か今もここにあっただろうか、アンティークの椅子が書かれており、日付を見て俺は目を見開いた。

「二百年前だって!入手した日付だろ、これ。どれだけ前からこういうの集めているんだ・・・。」

「そうじゃな、この建物がおよそ三百年前に建てられたとは聞いておるぞ。幾度も改築されてはおるが。」

 彼女の存在を忘れるくらいにまで没頭してしまっていたようだ。バクバクする心臓を抑えながら、悲鳴を上げなかった自分を褒めたくなった。よく見ると彼女の手には小さなモップが収められており、部屋の掃除をちゃんとしていたのだとわかった。

「もともとここは資料館兼倉庫のために作られたのじゃ。世界各国から探し出したアンティークを集めて保管し、しかるべき方法で処理してきた。」

 それも先代までの話、と続ける彼女に違和感を感じた。ならば白鳥の置物はどうだというのだ。今でも調査が行われているし、誰かが保管、処理等をやっているのではないか。だとすれば彼女が一人でやっているのかもしれない。先ほどの部屋へは誰も入れたがらせなかったのだ、ここに入れるのは彼女だけだろう。彼女のアンティークに対する執着が並外れているのは、彼女のその一部であるが故。彼女にはアンティークたちの声が聞こえているのかもしれない。

 まさか、と馬鹿らしい考えに自虐的な笑みが漏れる。持っていた本を破損させないように本棚に片付けると、今度は机の上に無造作に重ねてある本を開いた。パラパラと頁を捲ると、飛び込んできたのはただの走り書き。一言、あるべき場所に、と書かれたものが気になって頁をめくる手を止めた。

「あるべき場所に、か。二代前のマスターの口癖じゃったわ。偶然だとか必然だとか、全ての物事は理由なくして起こりえないだとかなどとぬかしておったのう、かかか。」

 突然肩に乗った彼女を気にすることなく、俺はその一言を食い入るように見ていた。何故だかひどく気になったのは、この建物にあふれる程のアンティークがあるからか、これを書いた彼のアンティークに対する想いが感じられたからなのか、とにかく漠然とした何かが俺を支配して行動させようとしている。

「なぁ、今はもうここではアンティークを処理してないんだな?」

「そうじゃな、あの青山じゃからのう。それがどうしたかえ?」

 俺はいてもたってもいられなくなってその本を抱えたまま書庫を飛び出し、社長室へと向かって走った。その途中で白鳥の置物を慈しむように見つめる社長を見つけ、息を切らせながら声を掛けた。

「どうかしましたか。何か面白いものでも見つけたような顔ですね。」

 それは社長と同じような顔だと捉えてもいいものか一瞬悩んだが口出しはせず、先ほどの頁を開いてみせると社長の表情がわずかに変わった。

「この、あるべき場所に、っていうのがどうしても気になって、なんて言ったらいいのか・・・俺はこのアンティークたちをどうにかしたいんです。あるべき場所にっていうのはきっとここではないはずだから。俺があるべき場所ってのを見つけられないのは重々承知なんですけど、そういう手伝いでもできるならやりたいんです。だからっ。」

「まったく・・・私は何をしろと言いましたか?倉庫の整理をしろと言ったはずですが、どうやら彼女にだけやらせて君はサボっていたようですね。次の仕事を言い渡します。」

「社長、でも俺は。」

 どうにか意思をを酌みとってもらおうと続けようとした言葉を社長は片手で遮ると、最後まで聞けと言わんばかりに軽く睨みつけられた。またしても肩に乗っていた神出鬼没な彼女さえも表情を引きつらせ、心なしか青ざめているように見えた。そうであるから俺の顔はもちろん真っ青な訳で。

「整理が終わり次第、ここにあるアンティークを全て調査し、資料を整えなさい。」

 言われた意味を理解するまでに時間がかかった。一方彼女はまさか、という顔をしたと思えば喜色満面の笑みを浮かべ、人間であれば涙を流しかねないほど。すぐに我に返ったのか表情を引き締めていたようだがにやけるのを抑え切れていない。

 俺はまだ意味が把握できずに頭の中を疑問符で埋め尽くしていた。アンティークを全て調査して資料を整えるとはどういうことだ。アンティークを調べてどうするって?

「害のないものから始めますよ。早くしなさいな雅樹くん。それともやっぱりやめるのかい?」

「やります!」

 そう叫んだ瞬間、頭の回転が遅すぎる自分を恨めしく思いながらようやく理解し、慌てて書庫に戻ったのである。膨大な本の量を想像すると途方のない作業ではあるが、逸る気持ちを抑えきれずにいた。まるで幼い頃に戻ったような不思議な感覚に身を任せて。

 俺がいなくなった途端、低い声で彼女が口を開いた。

「謀ったな、青山。それにそなたはもうこの世界に足を踏み入れぬと言ったではないか。」

「謀ったとは心外な。あなたもノリノリじゃないですか。・・・確かに私はもう関わらないと言いましたが、後継者を探すのが大変だと思ったからですよ。」

 近年、発展しすぎた科学力は世の不思議全てを科学的に解明しようとしている。その中で世界と相反する考えを貫き通すことの難しさは言うまでもないだろう。

「案外簡単に後継者って見つかるものですね。オカルト好きな熱血馬鹿がいてくれて助かりましたよ。」

「偶然か、必然か・・・。ここは昔からそういうものを引き寄せるのでな。そなたもそうであったろう?」

 くす、と笑みゆっくりと頷いたところで、つい不満が口をついて出た。

「それでもあなたは私を主にしようとはしなかったから。きっとあなたは、彼を次の主と認めるのでしょうね。」

「さて、な。あんな若造ではあるが、奴らと同じ心を持っているようじゃ。そなたには持ち得なかったものがのう。」

 彼女はふわりと笑うと楽しげに地下へと消えていった。新たな物語の始まりに期待と不安を抱えて。全てを見届けるために彼女は存在するのだから。

 あるべき物をあるべき場所に。その出会いは偶然であり、また必然でもある。


モドル
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