WE HAVE A GREAT AMBITION TO BECOME...

Etoile

モドル

 車窓から見える木々の色付きに秋を感じる。車内には少女が一人きり。少女はしっかりと風呂敷に包まれた何かを抱え、ただ風景を眺めている。少女を乗せた電車は山中を通り、トンネルに差し掛かった。

 ふと少女が気付けば目の前には見知らぬ風景が広がり、車掌が終点を告げていた。どうやら寝入ってしまったようだ。

 少女は天を仰ぐと荷物をしっかりと抱えたまま一歩を踏み出した。


◆   ◆

 いつもの坂道をいつものように上っていく。街路樹は見事に紅葉し、夕日に照らされ全体が赤く染まっている。

 駅前に通りかかると普段は人気のない無人駅に茫然と立ち尽くす少女が一人。

「あの・・・。」

 何故だか気になってつい声を掛けてしまった。その少女はゆっくりと此方を向くと首を傾げる。

「どうかしたんですか?」

「ええと、その・・・うっかり目的地を通り過ぎてしまって。今日はもう電車は来ないと言われたのでどうしようかと。」

 この街は滅多に電車が通らないことを思い出して俺は溜息を吐いた。

「それに・・・。」

 ぎゅっと包みを抱え、困った表情になった少女を俺は放っておくことはできなかった。

 蔦の蔓延る洋館は夕日に照らされて怪しい雰囲気を放っている。隣に佇む少女は少し怖がっているような気がする。

 思い切って扉を開ければ飛び出してくる小さな物体。否、フランス人形である。ふわふわウェーブの金糸を靡かせ俺の頭に乗っかるとぺちりとその小さな手で頭を叩かれた。

「遅いではないかっ!」

 黙っていれば誰もが可愛いと言うのに、ひとたび口を開けば高圧的かつ古風な日本語が飛び出す。そのギャップに誰もが一度は驚くだろう。

「俺にも事情があるんだよ。いいからどいてくれ。」

「何ですかこのお人形。・・・可愛い。」

 少女はキラキラと目を輝かせて俺の頭の上に鎮座する彼女を抱きしめた。

「何じゃこの女子は。ははぁん、そなたもやりおるのぅ。」

 にやにやと笑いながら此方を見やる彼女に疑問を浮かべていると、小さな手で小指だけ立てていた。何を勘違いしているのだか。

「そんなんじゃないっつーの。」

 少女は彼女の髪を指で梳きながら楽しそうに笑っている。確かにかなり可愛いとは思うけど・・・ってそうじゃないだろ俺。

「あの。」

 ふと少女が口を開いた。店内を見渡して興味深そうに尋ねる。

「ここは何のお店なんですか?」

 所狭しと並べられた数々のアンティーク。しかし内装はといえばまるで喫茶店のようである。

「ここはアンティークショップですよ、お嬢さん。ただしいわく付きのね。・・・そう、あなたが抱えているのと同じようなものを扱っているんです。」

 少女は少しばかり目を見開くと、納得したような表情で頷いた。テーブルに抱えていた荷を置くと包みを取り払う。現れたのは一枚の絵画だろうか、しかし額縁に収められたキャンバスを見ると何も書かれていない。

「これは・・・。」

「はい、絵がある日突然消えてしまったのです。」

 ほぅ、と何故か頷きながら社長は俺を見た。嫌な予感がして目を逸らすと今度はにやにや笑いを浮かべたままのフランス人形と目が合った。どうやら逃げられないようだ。

「良いでしょう。その絵を取り戻してみましょう。雅樹くんが。」

 悪あがきとこの場から逃げようとしたらがっしりと手を掴まれてしまったのでしょうがない。ひんやりした小さな手は見た目に反してかなりの力を持っているのだ。騙されてはいけない。

「いいんですか・・・?お願いしても。」

「大丈夫ですよ。きっと雅樹くんが数日中になんとかしてくれます。」

「かかか。こいつなら数日でなんとかするじゃろう。」

 まっすぐな瞳と面白そうな瞳に見つめられて俺は身動きできなくなってしまった。まるでメデューサのようである。

 仕方ないと思いつつ、なんとかしてあげたいと思うのは慣れてしまったからだろうか。

「ああ、そうそう。行く宛が無いのでしたら宿をお貸ししましょう。」

 そんな事を社長が言うのを聞きながら俺はそっとその絵に触れる。汚れ一つないキャンバスは何故だか泣いているような気がした。

「雅樹、しっかりやるんじゃぞ。」

 小指をぴんと立てる彼女の頭を軽く小突いて、未だににやにや笑っているのをやめさせる。何もかも分かったように見られるのはとても不快だ。社長もそうだけれど。

 翌日、坂道をひたすら上っていると前方に昨日の少女が見えた。買い物の帰りだろうか、重そうに荷物を抱えている。

「こんにちは。荷物持つよ。」

 返事を聞かずに奪うと、びっくりした表情を見せた。

「あ、えと・・・雅樹さん。」

「人使い荒いだろ、あいつら。」

「そんなことありませんよ。お二人とも優しい方です。」

 そういえば、少女は手持ちがないからバイトを探すと言っていたことを思い出した。この様子だと口八丁で言いくるめられてあの店で働くことになったに違いない。

 坂を上り終えると見慣れぬ高級車がちょうど店の前から去っていくところだった。

「ええい、青山!塩を持ってくるのじゃ!」

「はいはい。」

 青山さん──社長は食卓用の塩を手渡すと此方に気付いたようでニコリと笑った。それにしても本当にフランス人形なのか、塩を二、三度虚空に撒くと彼女は見事なアッパーを社長に放つ。

「せめて調理用を持ってこんかバカ者。」

 本当にあの二人はいいコンビである。ふと隣の少女を見やれば呆然と目の前で繰り広げられている漫才を見ていた。

 見ている分には楽しいのだがキリがないので声を掛けると、ようやく彼女も気付いたらしく此方を振り向く。

「何じゃ、見せ物ではないぞ?」

 それを聞いて社長が笑い出した。俺は十分見せ物だと言いたいのを堪えて疑問を口にする。

「さっきの高級車はなんだったんです?」

「ちっ…見ておったのか。何、いけ好かん奴らじゃ、吐き気がする。」

「所謂金持ちの道楽ですよ。」

 忌々しげに吐き捨てる彼女と社長は不快感を露わにした。社長のあんな冷たい眼差しは初めて見た気がする。

 金持ちの道楽とは珍品コレクターのことだろう。彼らが望むものがこの店には集まってくる。そして、彼らはとても厄介で此方がどれだけ値段をふっかけようと十分足りうるだけの財力を持っている。金に糸目をつけない彼らにとって、この店は宝庫というわけである。

「今日は特にしつこかったのぅ。いつもは雅樹が来るまでには帰るのじゃが。」

「この間仕入れたアレでしょうね。ほら、強欲の。」

 アレとは強欲の悪魔を模ったレリーフだろうか。近寄りがたい雰囲気を放ってはいたが、一体どんな効果があるのだろうか。知りたくもないけれど。

「かかか。あやつらにぴったりの品じゃな。そのまま魂を奪われてしまえばよいのに。」

 あくどい笑みを浮かべた彼女はかなり怖い。なにせ彼女自体そういった不思議な存在なのだから。

 この店は各地に散らばる同じようなアンティークショップの総本山ともいえる存在である。単なる倉庫と言ってしまえばそれだけだけど。取り扱いが難しいもの、危険なものが月に一回程度の割合でまとめて持ち込まれる。交通機関がほとんど途絶えた辺鄙な街にあるため、都合が良いのだろう。危険なものほどより多くの人を魅了してしまうのだ。隔絶された場所の方が安全に決まっている。

「さて、そろそろ仕事に取り掛かろうね?早くおいで。」

 彼女と無駄話をしていたらにっこりと真っ黒な笑みを社長に向けられた。普段は温厚な社長だが怒らせると半端なく恐ろしいことはすでに体験済みである。

 素早く返事を返して店内に入ると適当な椅子に腰かけ、あの絵の鑑定に入る。社長はにこやかに笑っていたのでなんとか雷は逃れたらしい。一安心だ。

 まずは全体に目を通す。一見普通のキャンバスであるし、布にも特に変わったところはない。絵具が全て消えているため年代までを確定することは難しいだろうが、布を調べれば誤差は百年程度で済むだろう。

 額縁にも特に変わったところはないようである。内側は楕円形で木製、おそらく油彩額だろうと見当をつけて裏返す。そっと額縁を外すと絵の裏側に何かが彫られているのを見つけた。

「なぁ、これ読めるか?」

 じっと俺の頭の上で作業を見守っていた彼女に尋ねると首を捻って逡巡すると口を開いた。

「うぬぅ・・・フランス語のようじゃが、文字の判別がつかぬ。」

「フランス人形ならたまにはフランス語を喋ってみろっての。」

 保存状態は悪くないはずだが、何故かところどころ文字が欠けている。分からないのも無理はないか。

「フランス語を喋っても良いのかえ?妾はそなたがフランス語を分からぬじゃろうてわざわざ日本語を話しておるのじゃぞ。」

 確かに挨拶程度しかわからないけど、だからってその古風な日本語はどうにかならないのか。時代錯誤にもほどがある。二百年前の日本人だってそんな話し方はしてなかったはずだ。

 これ以上話をしても不毛なだけだ、俺は携帯で文字を写真に収めておいた。明日にでも調べにいくとして、今日は他に方法が思いつかないため、また丁寧に絵を額縁に戻して包みなおした。

「あの、雅樹さん。コーヒー淹れてみたのですが・・・。」

 タイミングを見計らっていたのか、溜息を吐いたと同時に少女がコーヒーを運んできた。いい香りがすると思っていたら豆から本格的にコーヒーを淹れたようである。さっきの荷物はコーヒー豆だったのかもしれないと思いながら礼を述べると少女は微笑んで人形にも同じものを手渡した。人形なのにコーヒーを飲めるのか、と疑問に思ったが考えるだけ無駄である。

 一口含むとふわりと広がる苦みと香り。銘柄に疎い俺ではあるがそれでも別格だと分かった。思わず感嘆が口から零れる。

「うまい・・・。」

 舌の上で転がすと深みのある味わいがじわりじわりと滲み出てくる。ふと人形を見やれば香りを堪能しているようで恍惚の表情を浮かべていた。ようやくカップを傾け流し込む。

「香りは最上級じゃ。味も申し分ない。」

 口数が少ないからこそ彼女がこのコーヒーを大層気に入ったことが分かった。顔が綻んでいるのを隠そうともせず、また一口飲む。これだけ彼女が絶賛することは珍しい。

「ねぇ、このままうちで働かないかな?」

 社長までが気に入ってしまったらしい。少女は瞳をまん丸にすると花が咲いたような笑顔で言った。

「ありがとうございます!」

「よく気が利くし、仕事も早い。雅樹くんなんかよりよっぽど有能だよ。」

 すみませんねー、気も利かないし仕事も遅くて。不貞腐れてそっぽを向くとどっと笑いが起きた。不思議だ。少女はまるで前からここで一緒に過ごしてきたかのように馴染んでいる。たった一日しか経っていないのに楽しいと感じる自分がいる事に驚いていた。こんな毎日が続けばいいのにと思ってしまった。絵が無事元に戻ったら、少女は自分のいるべき場所に戻ってしまうというのに。なんて、馬鹿なことを。

「雅樹くん、休憩が終わったら二人で倉庫の整理をお願いしても構いませんか?」

「またですか。つい三日前に整理したと思うんですけど。」

 社長はとても不器用な人でお茶ひとつ満足に淹れられず、片付けもまともにできない。たった十分書庫にいただけでまるで台風でも来たかのような惨状に早変わりしてしまうのである。

「ごめんごめん。つい資料読みふけっちゃって。私だってちゃんと片付けようとはしたんだけど。」

「お願いですから片付けは俺にやらせてください。」

 どうやらいつも以上にひどい有様のようだ。倉庫に踏み入るのがとても怖い。しかし休憩している暇はないはずだと自分に言い聞かせて、少女を連れて地下倉庫へと向かった。

 倉庫は見るも無残な状態だった。まず、扉が完全に閉まってはいなかった。僅かに開いた隙間から今にも雪崩れてきそうな程の書類の束が顔を覗かせ、今すぐにでも回れ右して見なかったことにしたいくらいだ。

 勇気を出して中に踏み入れば、違った意味で呆気にとられてしまった。

「片付けって、棚に入れるってことだろ?なんで片付けようとしたにも拘らず棚に何もないんだ・・・。」

 しかし、バラバラに入っているよりはマシであると思えば少しはやる気にもなるというものである。床に散らばる資料を一つずつ拾って棚に入れればいいだけなのだから。

「とりあえず頑張りましょう、雅樹さん・・・。」

 どうやら彼女も呆気にとられていたようである。声にまったくと言っていいほど覇気が感じられなかった。

 一時間も経てば大量に転がっていた資料も粗方片付き、ようやく床が見えてきた。ふぅと一息吐けばこちらを窺っている少女と目が合う。

「どうかした?」

「あの・・・雅樹さんはどうしてここで働いているのですか?」

 突然聞かれた内容はすぐに答えようとして、その先が続かなかった。正直なところどうやって話せばいいか分からなかった。・・・どう言えば社長のダメっぷりが伝わるのだろう。

「あー、半年くらい前にスーパーで社長と初めてあったんだけど、あまりの不器用さに目を疑いたくなってな。」

 軽くて潰れやすいものから袋に詰めるものだから、袋の中がひどい有様だった。お人好しな性格が災いしてつい声を掛けてしまったのが全ての始まり。

「その後も数回そういうダメな所を見て、その度に助けてたらこの人は一体どんな生活をしてるのかまで心配になってこの店まで押しかけたんだ。」

「ふふっ、青山さんもすごい方ですけど、雅樹さんって本当に優しい方なんですね。私のことも拾っていただいて何とお礼を申し上げればいいやら。」

 くすくす笑う少女に思わず俺の方まで顔が綻ぶ。お礼は言われ慣れてないからくすぐったくて仕方ない。

「あ、でもその頃は普通に家政夫みたいな事をやってたんだ。アンティークを取り扱い始めたのは最近なんだ。」

 少女は俺にふんわりと微笑みかけるとその瞼の裏に何を描いているのか、とても穏やかな声で言った。

「ここにいるアンティークたちは幸せですね。あんなに大事にしてもらって。」

「そうなのかな?俺は、あるべき物をあるべき場所に導くのが役目だと思っているんだ。独り善がりかもしれないけど。」

 少し照れくさい理想を述べると急に彼女の表情が変わった。

「そう、ですか。あるべき場所・・・私もいずれは。」

 俯き加減に聞こえないような声で呟いた言葉は、微かに聞き取ることしかできない。聞き返そうとしたら少女はいきなり顔を上げ、狼狽えながら用事を思い出したと倉庫から出て行ってしまった。

「なんだったんだ?まぁ、片付けももう終わるし・・・。」

 最後の一冊を手に取ったところでふとあの絵が脳裏を掠めた。そうだ、あの絵についてここに資料はないのだろうか。これだけ莫大な量なら少しくらい書かれているかもしれない。

 絵画について書かれた資料を数冊手に取るとパラパラと捲る。

「そう簡単に見つかったら苦労しないんだが・・・。」

 ふと目に留まった真っ白なキャンバスの写真。額縁はどうやら違うもののようだが、同じような事例でもあったのだろうか。

 その絵は実体化するものらしく、ある日突然真っ白になって家出したと書いてある。当時は実体化した姿を捉えられない内に転売され、それから消息が掴めなくなったとのことだ。

 突然真っ白になったというのは今回の事例とまるで同じだが、この資料が作成された日付は五十年以上前。少女の口調からすると絵が消えたのは最近のような印象を覚えたが別の事例なのだろうか。

 次のページもまた写真が貼り付けられていた。どうやら絵を裏から撮ったもののようである。何か文字が書いてあるように見えるが遠すぎてぼやけている。その下に手書きで書かれた文字に俺は言い知れぬ違和感を覚えた。

 次の日、俺が店に行くと一昨日と同じようにフランス人形に叩かれた。違うのは威力が倍になっていたことだろう。かなり痛かった。

「遅いぞ雅樹。どこで油を売っておったんじゃ。」

「ちょっと調べ物してただけだ。前から言おうと思ってたが、別に店に来る時間なんて決まってないだろ。きっかり所定の時間働くんだし。」

 そう言うと今度は脛を思い切り蹴られた。一体何なんだこいつは。

「なぁ、コーヒー貰えるか?」

 奥にいる少女に声を掛けると元気な返事とともにすぐ用意された。向かいに座るように促すと首を傾げながらもソファーに腰掛ける。

「これは・・・?」

 一枚の写真を手渡すと驚いたような不思議そうな顔をする彼女に俺は確信してしまった。

「それがあの絵の本来の姿だ。」

 今日遅くなってしまったのはこれを入手するためだった。まるで最近撮られたかのような写真である。昨今の写真技術の向上に感動を覚えながら少女の様子を窺うと、唇を噛みしめ決意したように俺を見返してくる。

「この絵のモデルは、私なんです。」

「じゃあ君は・・・。」

 何者なんだ、とは言えなかった。

「その・・・言いにくいんだが、この絵は約百五十年前に書かれたものだ。」

「あ・・・。」

 おそらく少女には時間の感覚というものがないのだろう。でなければこんなに簡単に墓穴を掘ることもなかっただろうに。

「私は・・・っ!」

 ドンと突き飛ばされたと思えば少女は店を飛び出していってしまった。失敗したと落ち込んでいると人形独特の感触が俺の腕を掴む。

「本当にでりかしーのない奴じゃのぅ。ほれ、さっさと連れ戻して来んか。妾はあやつのコーヒーが飲みたいのじゃ。」

 再び突き飛ばされた俺はどこへ行ったら良いか分からずに近くを駆けずり回る羽目になってしまった。

 少女は公園のブランコを揺らすでもなくただぼんやりと座っていた。

「あ、雅樹さん。」

「さっきはすまない。デリカシーがないって怒られたよ。」

 了承を得て隣に腰かけるとゆっくりと漕ぎ出す。ブランコなんて何年振りだろう。

「私の方こそ取り乱してすみませんでした。」

 日暮れ間際の薄明かりが彼女の横顔を照らす。泣きそうな顔をしていた。

「私、雅樹さんが好きになりました。青山さんも、お人形さんもみんなが大好きに。」

「うん。俺たちも君が好きだ。」

 溢れ出てくる涙を掬って先を促す。深呼吸を一つするとまた口を開く。

「あの子たちが、アンティークたちがとても大事にされているのを感じて、私はいっそ自分のことを話してしまおうかと思いました。でも、私のあるべき場所があのお店では無かったら、もし売られてしまったら、二度と会えなくなるかもしれない。そう考えたらどうしても言えなかったんです。」

 ああ、俺の言葉が傷つけてしまっていたのか。そう思うと激しい自己嫌悪に見舞われた。俺は今までアンティークたちの気持ちも考えないまま、そうやって来たのかもしれない。でも。

「君の居場所はあそこだ。俺だけじゃない、二人ともそう思っている。・・・だって、君はあんなに楽しそうに笑っていたんだから。」

 花が咲いたような笑顔がどれだけ俺たちを癒してくれていたか知らないだろうけど。

「だから、一緒に帰ろう。」

 彼女の瞳から堰を切ったように涙が溢れだす。拭っても拭っても次から次へと溢れて止まらなかった。

「ぐすっ、雅樹さん、」

 ぎゅうっと強く抱きしめられて、身動きが取れない。あやす様に頭を撫でれば安心したかのように力が緩んだ。そして、少女の姿は徐々に薄くなり、融けるように消えていった。

「ありがとう。」

 その言葉を残して。

 彼女はきっと元の絵に戻ってしまったのだろう。重い足取りで店まで戻り、扉を開けると聞きなれたベルが何故か物悲しく聞こえた。

「只今戻りました。」

「お疲れ様、雅樹くん。・・・ほら。」

 あのキャンバスの中に彼女がいた。にっこりとあの花のような笑みを浮かべている。

「やっぱり、綺麗だ。」

 そう呟くと何故かキャンバスの中の表情が変わった。顔を真っ赤にして照れているような気がする。

「あ、あの、そんなこと急に言われても・・・。」

 ふわりと絵の中から飛び出た少女は音もなく地に降り立つと、真っ赤な顔を隠しながらもちらちらと此方を見てくる。

「あ、あれ・・・?元の絵に戻ったんじゃ・・・?」

「おかげ様で絵の中に戻れるようにはなりました。その節はお世話になりました。ですが、私はここの従業員ですし、仕事を放りだして消えるような人間ではありません!」

 ・・・人間じゃないって突っ込むべきなのだろうか。

「それにせっかく買ったコーヒー豆を青山さんに無駄にされるなんてもったいないことできませんから。」

 社長の武勇伝をしっかり伝えておいた甲斐があったのかもしれない。一方の社長はというと少女の言葉に打ちのめされたようだ。お願いです。あなたは何もしないでください。

 そんな俺たちを見ながらフランス人形がコーヒーを優雅に飲んでいた。相変わらず身体に似合わぬカップを使っているものだ。

「エトワール、俺にもコーヒーお願い。」

 僅かな間が開いて、ようやく少女が返事をした。

「もしかして、私のことですか・・・?」

「君の名前だろ?絵の裏にそう書いてあると思ったけど。違った?」

 星という名を持つ彼女は今までで一番の笑顔で涙を一筋流した。

「はい、只今!」


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